sacqueline’s diary

久しぶりに読書にはまりました。読んでいった本の覚書と読書感想です。

孤児 ファン・ホセ・サエール 寺尾隆吉訳

 心に残ったところ

つまり、ある出来事を覚えているからといって、それが本当に起こったとは限らない、ということだ。同じように、過去に見たことがあるはずの夢を何ヶ月、何年経ったあとで思い出しても、それが、前日の夜見た夢ではなくて、遠い過去に見た夢であったという保証はないし、そもそも、過去のこととして今頭に思い浮かぶ出来事が、必ずしも過去な出来事であるとは限らないのだ。

 死という一度きりの事件を迎えているのだった。 死と記憶はその点が共通するのであり、どちらも、一人ひとりそれぞれにとって唯一無二なのだ。同じ経験を誰かと共にすると、他者と記憶を共有しているように人は思い込むものだが、実際には、記憶は一人ひとり違っており、死が孤独であるのと同じく、 記憶もやはり 孤独を免れない。記憶とは独房のようであり、生まれてから死ねまで、人は記憶の独房に閉ざされて生きている。つまり記憶とは死なのだ。

 

 

場所/ある女 アニー・エルノー 堀茂樹訳

場所は父の死後 ある女は母の死後 ともに著者の父のこと、母のことをひとりの人として客観的に綴った作品。

場所は、著者と父の差異、距離感、お互いの視点を思い出もまじえ書いた作品。

 

 ある女は、今も強い感情の嵐を私に残している。

それは、三年前に永眠した母のことを様々と私に思い出させたから、まだこころがとてもふるえてくる。

 ある日、彼女の髪をブラッシングしはじめた。それから、手を止めた。すると、彼女が言った。「あんたに髪をやってもらうのは、いい気持ちだわ」その後は、私はいつも彼女の髪をブラッシングした。 というところから涙が溢れてあふれて仕方がなかった。 たぶん、愛おしさ、愛をとても感じたから。

言葉にすると陳腐だけど。

 私のことだけど…私は母を亡くして、私の母としてではなくてはじめてひとりの女性として客観的にみることができた。ひとりの女性としての母を肯定的に捉えることができた。私はもう母に会えない、話せない。時間とともにこころの奥のほうにしまったあれこれが、ある女を読んでまた蘇っちゃった。

 

 こんなふうにちゃんと言葉にできる著者が本当に羨ましかった。

 

素敵な本に出会えたな。

 

 

 

 

 

猫とともに去りぬ ジャンニ・ロダーニ

大人な粋なファンタジー

ユーモアとチクッとする粋な皮肉が入り混じっていて、くすっと自然と笑いがこみあげてくる絵本のような短編小説。

私は大好きかなぁ、こういうの。

 

心に残った好きな一文。

〜まったく不思議な話である。 どう考えたところで、

30と30は同じ数のはずだが…。〜

考えたことなかったけど、そうなんだろうな〜と思わず納得。

 

 

 

 

 

 

 

破獄 吉村昭

脱獄王といわれた佐久間の脱獄を中心に据え、大戦前・戦中・戦後の社会情勢、刑務所をとりまく状況を描いた小説。

戦中戦後の刑務所のおかれている状況なんて考えたこともなかったので、看守の信条、心情・刑務所の維持、食料事情など、脱獄について以上に刑務所に関わる記述が興味深かった。

 

戦艦武蔵も読んだみたいな。

 

シベリア物語 長谷川四郎

思わずくすっと笑ってしまったところ

 

〜機械と機械に追われて機械を追いかけ、多忙を極めて、まことに味気ないものである。その機械を動かすものは、彼ではなく、彼以上の、権威ある存在なのだから。かかる存在によって機械は動かされ、そして、この機械によって、人間は使用される。〜

なんだか、今の仕事を彷彿してしまった。

 

まだ読んでいる途中なのだけど…とりあえず覚え

アンダーグラウンド 村上春樹

アンダーグランド

読後、ずっしり頭と心にずつしりくる。

 

 私の解釈・認識・みている視点で、みえてくることが変わってくるといつも感じてる。

だから、ちゃんとアンダーグランドに書かれていることを私のというバイヤスなしに受け止めてるのかなぁ。ちゃんと読めているのかなぁとずっと思いながら読んでた。

 

倒れそうなのに這ってでも、会社に行こうとするサラリーマン。地下鉄の駅周辺で何かが起こっているのに、無関心、見て見ぬふりをする人びと。

何かがおかしいと感じているのに、お互いに確認しあわない地下鉄の乗客。

眼の前で、倒れたり、座り込んだり、吐いている人たちがいるにも関わらず、報道するマスコミ。

どこかネガディブなところに目がいってしまう。

昔も今もかわらない。

私の感覚的には、もっと酷くなってるように感じる。

報道は、スキャンダラス一辺倒。結局、何が起こったのかわからないまま過ぎていく。ある日、ピタッと消えていく。 

きちんと検証しないまま、人びとの記憶からあたかも無かったことのようにして口を閉ざしてしまう日本社会に居心地の悪さを感じる。

本当にどこにむかっていくのだろう?

本当のどこで話が聞けるのだう?

 

なんてことを読みながら感じまた

 

 

 

崩壊 

崩壊

オラシオ・カステジヤーノス・モヤ 

(ホンジュラス生まれ、エル・サルバドル作家) 

寺尾高吉訳

 

はじめから崩壊している。

読み進めていくと、人ってなんて自分自身と違う考え、意見を持っているというだけで、

暴力的、攻撃的になれるんだろう。人間ってつくづく恐い生きものだろうと感じた。

 章ごとに、直接的・間接的・第三者的に物語りが視点をかえて描かれてる。

愛してる思い、愛されたい思い、

思いが通じない憤り、寂しさから攻撃的になったり、悪いところばかり気になったり、哀しすぎる。

けど、共感できない。

暴力的ともいえることも事柄も、距離・視点を変えることで少しのやさしさ、かなしさ、なんだかなぁ~というおもいが滲み出てくる。

 最後に心に残った一文

祖国も土地も失ったまま残りの一生をさまよい歩くなんて地獄だ